人的資本の情報開示の潮流、開示レポートの内容・項目について解説します。
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Q人的資本開示に関する世界と日本の動きを教えてください。
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A世界的な産業構造の変化(製造業からICT・サービス業中心へ)の影響で、有形資産だけを見ていては企業価値が測れないという懸念から、無形資産に注目が集まるようになりました。具体的には2011年よりISO(国際標準化機構)で標準化の動きが始まりました。その後、世界の様々な国で政策議論がなされています。
EUでは2017年会計年度より従業員500名以上の企業に、米国では2020年11月より上場企業に人的資本開示を義務化しました(ただしどちらも開示するメトリックは任意)。米国では人的資本投資法案(「Workforce Investment Disclosure Act of 2021」)が議会に提出されており、下院は通過。上院の審議に入っており、通れば全ての上場企業に20〜30のメトリックでの開示が義務化されます。
日本はこの動きに遅れをとっていましたが、現在、欧米より早く人的資本の開示を義務化しようと、内閣官房と金融庁で議論を進め、2022年8月30日には、内閣官房の非財務情報可視化研究会は「人的資本可視化指針」を公表。また、2023年1月31日には「企業内容等の開示に関する内閣府令等の一部を改正する内閣府令」(改正開示府令)が公布・施行されました。
さらに金融庁発表の「企業内容等の開示に関する留意事項について(企業内容等開示ガイドライン)」、「記述情報の開示に関する原則(別添)-サステナビリティ情報の開示についてー」の改正も公表・適用されています。
これらによって、上場企業には2023年3月31日以後終了する事業年度に係る有価証券報告書等から、サステナビリティに関する考え方及び取組として「人材育成方針」、「社内環境整備方針」、多様性に関する情報(女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差)の開示が求められることになりました。
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Q2022年8月に内閣官房から発表された「人的資本可視化指針」の概要を教えてください。
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A内閣官房は2022年8月30日、「人的資本可視化指針」を策定しました。本指針によると、人的資本の可視化は以下の方法によって進められることが推奨されています。
- 1. 可視化において企業・経営者に期待されることを理解する
人材育成や人的資本に関する社内環境整備の方針、目標や指標を検討し、取締役・経営層レベルで密な議論を行った上で自ら明瞭かつロジカルに説明する
- 2. 人的資本への投資と競争力のつながりの明確化
価値協創ガイダンス、IIRCフレームワーク等を 活用して明確化する
- 3. 4つの要素(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に沿った開示
サスティナビリティ関連情報の分野では、気候関連財務情報の開示フレームワークTCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)提言において推奨されている「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」が、投資家にとって馴染みやすい開示構造のため効果的、効率的である
- 4. 開示事項の類型(2類型/独自性・比較可能性)に応じた個別事項の具体的内容の検討
横並び・定型的な開示に陥ることなく、自社の人的資本への投資、人材戦略の実践・モニタリングにおいて重要な独自性のある開示事項と、投資家が企業間比較をするうえで用いる開示事項の適切な組合せ、バランスの確保をする
また、開示が望ましい19事項としては、以下が挙げられています。これらの事項を、「投資目的の視点(価値向上)(リスク管理)」と「数値化できるかの視点(独自性)(比較可能性)」で整理し開示するのが望ましいとしています。
出典:内閣官房非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」をもとに作成 - 1. 可視化において企業・経営者に期待されることを理解する
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Q内閣官房が開示を推奨する19事項と、ISO 30414との関係は?
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A内閣官房が開示を推奨している19事項(詳細は前項に記載)は、国際規格ISO 30414のメトリック(測定基準)に、ほぼ対応しています。 ISO 30414とは、国際標準化機構(ISO)が定めた「社内外への人的資本レポーティングのガイドライン」です。11の人的資本領域の、58のメトリックが挙げられています。大企業向けにはこの58のメトリックを社内で活用して人的資本経営を行い、外部向けに23のメトリックを開示することが推奨されています。
ISO 30414の11領域- コンプライアンス及び倫理
- 苦情や懲戒処分の数、コンプライアンス研修修了者の割合など
- コスト
- 人件費、採用コスト、平均報酬額など
- 多様性(ダイバーシティ)
- 年齢、性別、障害等の多様性、経営陣の多様性
- リーダーシップ
- リーダーへの信頼、リーダーシップ研修など
- 組織文化
- エンゲージメント、従業員満足度、定着率など
- 組織の健全性、安全及びウェルビーイング
- 労働災害件数、勤務中の死亡者数、研修参加率など
- 生産性
- EBIT、売上高、従業員あたりの利益、人的資本ROIなど
- 採用、異動及び離職
- 重要なポジションの定義、準備時間、内部異動率、離職率など
- スキル及び能力
- 人材開発にかかる総コスト、1人当たり平均研修時間など
- サクセッションプラン(後継者計画)
- 社内の昇進と社外からの採用の割合、後継者準備率など
- 労働力の利用可能性
- フルタイム換算での従業員数、社外の労働力、欠勤率など
出典:日本規格協会『ISO 30414:2018 ヒューマンリソースマネジメント-内部及び外部人的資本報告の指針』を参考に作成
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Q義務化が決定した開示項目はどれですか?
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A2023年1月末より、 23年3月31日以後終了する事業年度に係る有価証券報告書等から、有価証券報告書の「サスティナビリティ」の中の「人的資本」という項目で、「人材育成方針」「社内環境整備方針」を、「多様性」の項目では「男女間賃金格差」「女性管理職比率」「男性育児休業取得率」を、開示義務項目として追加することが義務化されました。また、内閣官房は前項で挙げた19事項での開示推奨を促しています(2022年8月末〜)。
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Q義務ではない開示推奨項目の中から、どれを開示するかは、どのように選ぶとよいでしょうか?
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A人的資本経営や開示で重要なことは、自社のパーパスと経営戦略、人材戦略のつながりを見せることです。世の中にどんな貢献や価値提供を行うために、どんなビジネスを行うのか。そのためにはどのような人材がどのくらい、いつまでに必要なのか――そうした、聞き手が腹落ちする物語である「ナラティブ」を語れれば、ステークホルダーに魅力的にうつるでしょう。開示項目も、そのナラティブの中で必要な項目を選ぶことになります。少なくとも経営陣、経営企画部門、人事部門一体となって議論する必要があります。
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Q取り組みが遅れているなどの理由で、開示が難しい項目があります。その場合はどうすればよいでしょうか。
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A義務化された法定開示項目の場合、開示が必要ですがそれ以外は企業の判断で開示する項目を選択できます。
また、現状があまり望ましくない数値や状況であっても、オープンに現状の課題として改善していく姿勢とともに記載する企業も少なくありません。
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Q内閣府令が定める「望ましい開示」(気を付けるべきポイント)とは、どんなものですか?
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A内閣府令では、「サステナビリティに関する企業の取組みの開示」について、開示義務と望ましい開示に向けた取組みの記載があります。なかでも、「人的資本、多様性に関する開示」についての望ましい取組みは以下の通りです。
- 「戦略」と「指標及び目標」について、各企業が重要性を判断した上で記載しないこととした場合でも、当該判断やその根拠の開示が期待されること
- 「女性管理職比率」等の多様性に関する指標について、連結グループにおける会社ごとの指標の記載に加えて、連結ベースの開示に努めるべきであること
つまり、ただ定性的な記載や定量的な結果だけを提示するのではなく、戦略に基づいた根拠のある指標と目標やその進捗について、具体的な情報を記載することが求められます。
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Q各種項目の計算方法を知りたいのですが。
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A「ISO 30414:2018 ヒューマンリソースマネジメント-内部及び外部人的資本報告の指針」(日本では日本規格協会グループが発行。有料・邦訳版あり)に、各項目に関する計算式が記載されています。
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Q人的資本開示の先行事例を教えてください。
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A金融庁が「記述情報の開示の好事例集2022」を公表しています(23年3月に更新)。人的資本や多様性について独立した資料も公開されており、19社が好事例として掲載されています。
またHRテクノロジーや人的資本経営に関する第一人者であり、日本初のISO 30414リードコンサルタント/アセッサーでもある岩本隆氏(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授)のホームページにも海外や日本の企業の最新事例が掲載されています。
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Q人的資本の可視化をするうえでおすすめのツールはありますか?
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A多くの企業で、研修受講履歴や、保有スキル等の人的資本の保有・投資状況が把握されていない状況があります。そうした状況を打開するには、タレントマネジメントシステムの導入・活用が望ましいですが、導入や移行には時間がかかります。そこまででなくとも、開示しようとする項目データを、BI(ビジネスインテリジェンス)ツールを使ってまずは視覚的に可視化し、経営戦略・人材戦略に活かします。
スキルやコンピテンシーの測定には、もちろん各種教育ベンダーが提供している360度評価や人材アセスメントが活用できます。
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Qエンゲージメントスコアを測って開示する企業が多いようです。なぜエンゲージメントを測るとよいのでしょうか。
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A人的資本を活性化するという取り組みにおいて、エンゲージメントは従業員がいきいきと、やりがいをもって働けているかを見る1つの指標になり、投資家も企業価値を測る非財務情報として注目しています。実際、従業員の「持続可能なエンゲージメント」のレベルが高い企業は、それが低い企業に比べ、1年後の業績(営業利益率)の伸びが3倍になるという調査結果があります(ウイリス・タワーズワトソン社調べ)。また、従業員の“ワーク・エンゲージメント”を高めることは、生産性向上やイノベーションの創出につながると、経団連も2020年に新成長戦略の中で指摘しています。
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Q「リーダーシップ」にまつわるデータの抽出方法や、開示項目の種類を教えてください。
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AISO 30414では、リーダーシップに関連する開示項目として「リーダーシップの信頼(リーダーに対する信頼)」、「管理の範囲(リーダーが管理する従業員数)」「リーダーシップの育成(研修に参加した従業員数)」が挙げられています。そのうち、外部開示推奨項目は「リーダーシップの信頼」です。これは360度調査、エンゲージメントサーベイや従業員調査等の結果から抽出できるでしょう。一般的には、「公平性」「誠実さ」「一貫性」が多く調査されます。
しかし「リーダーシップに対する信頼」は、調査で測れば伸びるわけではありません。真にこれを高めようとするなら、調査結果をもとに、必要なリーダーには教育機会を設けたり、リーダーと上司、職場単位等で対話を行ったりといった打ち手が必要になるでしょう。
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Q以前から、組織の要であるマネジメント層への教育に注力してきました。ぜひ内容を開示したいと思うのですが、どのように開示をするとよいでしょうか?
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A「リーダーシップ開発」に関連する項目として開示することができるでしょう。ISO 30414では、「リーダーシップ開発(研修に参加した従業員数)」は、一定期間内にリーダーシップ開発プログラムや研修に参加したリーダーの割合を定量的に把握してレポートすることとされています。
しかし、研修参加の時間や割合のみならず、研修の結果、どのようなスキル向上につながったのかということまで可視化できると、真のリーダーシップ開発や効果測定につながります。
これは、ISO 30414の「スキル&ケイパビリティ」というカテゴリの中の「ワークフォースのコンピテンシーレート」―複数の重要なコンピテンシーのレベルの平均値を出す等―の測定により可視化が可能です。このワークフォースの評価は、現時点では、アセスメントツールや自己評価などの主観的なものでもよいとされています。
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Q「後継者計画」(サクセッションプラン)にまつわる開示項目の種類や、重要な点を教えてください。
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AISO 30414では、幹部候補者やマネジメント層の後継者計画(サクセッションプラン)に関連する開示項目として「サクセッションの有効率」「サクセッションのカバレッジ(カバー率)」「サクセッションの準備率」が挙げられています。これらは外部報告が特に推奨されているわけではありませんが、タレントマネジメントの根幹をなすものです。
「サクセッションの有効率」とは、クリティカルポジション(組織の成功にとって重要なポジション)のうち、外部からの採用者に対する内部昇進者の割合のこと。具体的には社内後継者の数と、年間のクリティカルポジション全後継者の数から計算され、70~80%であれば良好とされます。
「サクセッションのカバレッジ」は総数に対する後継者の平均の数、「サクセッションの準備率」は、さらに細かく、スキルギャップを把握しながら既に準備が整っている数、1~3年以内に準備が整う数、4~5年ほどかければ準備が整う割合を算定します。
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Q「タレントマネジメント(採用・異動・離職)」にまつわるデータの抽出方法や、開示項目の種類を教えてください。
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A「採用」について、ISO 30414は全4メトリックを提示しており、そのうち「求人ポジションに対する採用充足に必要な期間」「重要な求人事業ポジションへの採用充足に必要な期間」の2つが外部報告推奨項目です。
「異動」(内部流動性)では全6メトリックのうち、「内部人材で充足できたポジションの割合」「重要な事業のポジションにおける内部充足の割合」が外部報告推奨項目となっています。
「離職」では全4メトリックあり、「離職率」が外部報告推奨項目です。「採用」に関連して、外部開示推奨項目ではないものの、ジョブマッチ度合の測定に関連して重要な項目は、「従業員一人当たりの質」です。これは雇用前の期待値と比較した雇用後のパフォーマンスで、一定期間のパフォーマンスをアセスメントや360度評価等で測定します。
「異動」では「内部の異動率」も、社内でジョブフィットできるチャンスが多いことを指すため重要です。
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Q「スキル及び能力」にまつわるデータの抽出方法や、開示項目の種類を教えてください。
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A「スキル及び能力」に関してISO 30414では5メトリックを提示しており、そのうち「人材開発及び研修にかかる全てのコスト」を外部報告推奨項目としています。
内部報告推奨項目としては、「年間の従業員総数に対する研修に参加した従業員の割合」「従業員一人当たりの平均的な研修プログラムに定められた研修時間」「研修プログラムに定められた様々なカテゴリーの研修に参加した従業員の割合」があります。
もう1つが「従業員のコンピテンシー率」(労働力のコンピテンシーレート)です。これは、外部報告は推奨されてはいないものの、他のメトリックとの関連性も高く重要です。従業員の評価に基づきスキル・コンピテンシーレベルの平均値で、評価はアセスメントツールや自己評価などの主観的なものでもよいとされています。
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Q「多様性(ダイバーシティ)」にまつわる開示項目の種類を教えてください。
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A多様性は、欧米企業では成果に直結する重要指標として位置づけられています。ISO 30414では「年齢」「性別」「障害」「その他の多様性に関する指標(少数民族や社会的弱者)」そして「経営陣の多様性」の全てを外部報告することが推奨されています。グローバル展開をされている企業では、人種・貧困問題とともに、決して軽視できない指標です。
また、上記項目でも述べていますが、2023年1月末より、 23年3月31日以後終了する事業年度に係る有価証券報告書等から、「サスティナビリティ」の中の「多様性」の項目で「男女間賃金格差」「女性管理職比率」「男性育児休業取得率」を、開示義務項目として追加することが義務化されました。
開示項目という点では以上ですが、近年では国籍などの容易に変えられない属性の多様性の他に、「思考のダイバーシティ」や、スキル特性や考え方といった「コグニティブダイバーシティ」がイノベーションを高め業績に貢献するという研究結果があり、注目されています。
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Q人的資本への投資と労働生産性の相関について、どう開示するとよいでしょうか?
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AISO 30414には、人的資本RoI(人的資本への投資が組織目標ををいかに支えているか)を求めるための計算式が記載されています。
また、マクロ経済学や生産性分析を専門とする学習院大学経済学部教授の滝澤美帆氏は、下記の記事で、人的資本投資が労働生産性に正の相関を持つという先行研究の引用や、産業別の教育訓練費と自社を比較し提示する等を提案されています。