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人的資本を最大化する
キャリア・リテンション
マネジメント 前編

山本 寛

青山学院大学 経営学部 経営学科 教授

人的資本を最大化するために、社員のキャリア形成を組織としてどうサポートすればよいでしょうか。働く人のキャリアとそれに関わる組織マネジメントが専門の山本寛教授に伺いました。前編では「キャリアプラトー」を中心に解説いただきました。

取材・文=増田忠英 写真=山本寛氏提供、PIXTA

目次

「人的資本経営」の本質は経営学では以前から取り組まれてきたテーマ

Q「人的資本経営」という言葉がややブームになっています。この言葉自体やブームになっていることについて、どう受け止めていらっしゃいますか。

山本 寛(以下敬称略)

企業における非財務情報の開示を求める動きが強まるなかで、ESG投資の「S」に含まれる人的資本への関心が高まってきたと考えています。人的資本経営において「ヒト」は、使うことで消費されてしまう「資源」と異なり、磨くことで利益や価値を生む存在と捉えられています。そのため、学習のために生じた費用はコストではなく投資と位置付けられるのです。

もっとも、経営学では「(戦略的)人的資源管理論」において、人的資本経営の2つの柱である①経営戦略と人事戦略の連動、②従業員の能力開発の重視等をだいぶ前から取り上げてきました。それだけに最近の人的資本経営のブームについては、経営学者の間では「先に注目されてしまったね」とよく言われています。

現在の人的資本経営の状況に関しては、次の2点の傾向が指摘されています。

1つは、人的資本に関する情報開示のガイドラインであるISO 30414項目における指標化の実施状況がまちまちであることです。Works Human Intelligenceの人的資本に関する意識調査(2021)によれば、「コンプライアンスと倫理」(47.9%)、「人件費」(44.0%)、「採用、異動、離職」(42.5%)、「ダイバーシティ」(42.1%)など、国や経済団体から開示が求められている項目は指標化が進んでいます。それに比べて「後継者育成計画」(21.4%)、「リーダーシップ」(23.3%)、「企業文化」(28.6%)などは指標化があまり進んでおらず、まだまだ低いようです。特にリーダーシップの向上は、部下の人的資本の向上に資すると言われているにも関わらず、進んでいないのが現状です。

もう1つは、人的資本の価値向上の取り組み実施・検討状況に偏りがあることです。これも先ほどの調査によれば、人的資本の価値を向上させるための取り組みとしてもっとも進んでいるのが「従業員満足度調査の導入」(53.2%)、2番目が「従業員の自主的な学びを支援する制度」(52.9%)です。しかし、その他の項目はあまり進んでいません。たとえば、人的資本マネジメントの知識と経験を持った経営トップである「CHO/CHROの配置」は11.0%に留まっています。また、最近ようやくHRテックの重要性が叫ばれるようになってきましたが、データを部署内や部署間で一元管理している企業も1割前後とまだまだ少ないようです。

キャリアプラトー対策のポイントとは

Q先生は、キャリアプラトー(キャリアの停滞)に関する研究を続けてこられました。キャリアプラトーの観点から、人的資本を最大化するうえで、日本企業にとって特に重要になることは、どんなことでしょうか。

山本

ポイントとして3つ挙げられます。1つめは、企業グループ内のキャリア機会を開示することです。昨今、社内で昇進することは以前よりも難しくなっており、昇進がなかなかできないのではないかと感じている人や、同じような仕事の繰り返しで中だるみしている人もいると思われます。こうした人たちに対しては、自分の所属する会社だけでなく、グループ内の他の会社のポストに応募できるようにすることが、キャリアプラトーを脱するうえで有効な施策になります。

2つめは能力開発の提供です。リスキリングによって必要とされるスキルを新たに獲得することもキャリアプラトーを脱することにつながります。そして3つめは競争力のある報酬水準の確保です。他社からの引き抜きにあっても負けないような報酬を出したり、必要であれば年功序列とは関係なく高い賃金で同業他社から人を採用するということです。

Qその点(グループ内キャリアの開示、能力開発の提供、競争力のある報酬水準)でうまく取り組んでいる企業の事例はありますか?

山本

これら3つすべてに取り組んでいるのが三井化学です。同社は経営計画に連動した人材戦略を策定し、人材に関する優先課題として「従業員エンゲージメント向上」「グループグローバル経営強化」「人材の獲得・育成・リテンション」を掲げています。グループ内キャリア機会の開示については、多くのグループ会社を持つなかで、場合によっては他のグループ会社のポストにも応募できるようになっています。

もう1社、プラトー対策で優れているのがSAPです。女性管理職比率と上位職位への内部昇格率をそれぞれ明示しています。同社は中途採用も多いですが、生え抜きの人材がどれくらいの確率で部長などのポストへ昇進できているかを、すべて開示しています。

「管理職不人気問題」にどう対処するか

Q昇進におけるキャリアプラトーは「階層プラトー」と呼ばれますが、それ以前に管理職への昇進は依然として不人気のようです。どのような処方箋が考えられるでしょうか。
※階層プラトー:現在以上の職位に昇進する可能性が将来的に非常に低下すること。

山本

確かに、管理職は不人気だとよく言われます。いくつかの調査を見ても、「あなたは昇進したいですか?」と聞かれると、「あまり昇進したくない」「専門職の方がいい」と答える人は多いです。ところが、「ずっと今(平社員)のままでよいか」と聞かれると、それに対しては否定的な回答が多い。ですので、昇進をまったく考えないかというと、必ずしもそうではないようです。

また、「昇進する気はないし、したくもない」と思っていた人が、昇進のオファーを受けて結果的に昇進することがあります。そういう人に話を聞いてみると、昇進したことで、「今までと違う高い視点から組織を俯瞰できた」「平社員ではできなかったことができるようになった」と話す人が結構います。昇進前にリーダーシップやマネジメントの経験を持つことができないため、管理職の悪い面ばかり見てしまいますが、実際に昇進してみると良い面に気づくことがあるということです。

以前はプロジェクトチームやタスクフォースがつくられて、若手がそのチームリーダーになって目標達成に取り組む機会が多く見られました。こうした機会が最近は減っているようですが、本来は管理職に上がる前にマネジメントを経験できるような機会を与えることが大切だと思います。

また、大企業では、小さくまとまって失敗だけはしないような管理職が増えていると聞きます。管理職の失敗を許容することをもっと認めていけば、「自分も管理職をやってみようかな」と思える人が増えるのではないでしょうか。

今後はジョブ型雇用が増えると言われていますが、実際には、高度な専門職が中期的に変わらず働き続けることが大半、ということには、まだならないと思います。多くの人は、ジョブローテーションとは言わないまでも、何らかの形でマネジメントにいかざるを得ないでしょう。なぜなら、組織のなかで管理職はまだ必要とされているからです。特に中堅中小企業やスタートアップ企業では、技術的なシーズは持っていても、それを組織に落として人に割り当て、お金を調達してビジネスにしていける存在がなかなかいないという声をよく聞きます。企業が成長していくためには、マネジメントのできる人材が必要なのです。

このことを踏まえると、ポストを減らす、いわゆるフラット化だけでは、なかなかうまくいかないのではないでしょうか。今後も管理職というポジジョンの魅力を伝えながら、一定程度、管理職に登用していく必要があると思います。

オンラインで打ち合わせをしているイメージ※イメージ

周囲の積極的な関わりが、キャリアプラトーを防ぐ

Q女性管理職比率も政府が望むようなスピードでは上がっておらず、男女の賃金格差の要因になっています。女性管理職比率向上については、また別の施策が必要でしょうか。

山本

女性管理職比率向上については、施策として3つ挙げられます。1つめは、目標とする比率を高めに設定することです。そして、部門ごとに具体的なアクションプランを立てて実行することで、自ずと比率は高まっていくでしょう。

2つめは、「女性活躍」という経営方針との連動です。今は経営方針に「女性活躍」を掲げない企業の方が少ないくらいです。ところが、実際には管理職で活躍している女性が少なかったり、育休から復帰する女性が少ないような状況があるとすれば、経営方針が実現できていないことになります。増やすための施策としては、昇進することで得られるメリットについて、実際に昇進した女性から聞く場を設けることも1つの方法です。

3つめは、メンタリング、シャドーイングのさらなる活性化です。シャドーイングとは、たとえば1日や半日、管理職に影のようにくっついて、管理職が実際にどんな仕事をするのかを学ぶ手法です。優秀なのに尻込みしてしまうようなタイプでも、「管理職ってこういう仕事をするんだ。これなら私にもできる」と思う人が増えてくると思います。これは男性も同じですね。

Q「キャリア自律」が長年にわたり叫ばれています。従業員が自身のキャリアを自身で歩むように促すための取り組みと理解しますが、これは仕事におけるキャリアプラトーである「内容プラトー」を防ぐ取り組みとはまた異なるものなのでしょうか。
※内容プラトー:仕事に対して、新たな挑戦、ワクワク感や学ぶべきことが欠けている状態。仕事のルーティン化。

山本

内容プラトーを防ぐには、もちろんキャリア自律も大切ですが、それだけでなく、上司や同僚などの積極的な関わりが重要です。内容プラトーに陥る可能性は誰にでもありますし、それが続くこともあります。内容プラトーは、職務満足とネガティブな関係があり、退職意思とポジティブな関係があると言われています。しかし、メンタリングを受けているほど、それらの関係は弱まるという研究結果も出ています。

また、能力開発に対する周囲のサポートが内容プラトーにネガティブに影響するという研究結果もあります。たとえば、トップマネジメントは能力開発の重要性を常に発信し、そのための体制をつくり、上司は、部下が研修から戻ってきた時に、新たに身につけたスキルを使用する機会を積極的に提供する。同僚も、新たに身につけたスキルを活かすように勧める、といったようにです。キャリア自律への取り組みだけではなく、こうした周囲のサポートが、内容プラトーを防いだり、内容プラトーから脱することに役立ちます。

青山学院大学経営学部教授博士(経営学)山本 寛氏
山本 寛(やまもと ひろし)

青山学院大学経営学部教授 博士(経営学)

メルボルン大学客員研究員歴任 。著書(単著)に、『連鎖退職』、『なぜ、御社は若手が辞めるのか』、『「中だるみ社員」の罠』(以上日経BP)、『人材定着のマネジメント』(中央経済社)、『自分のキャリアを磨く方法』、『転職とキャリアの研究[改訂版]』、『働く人のためのエンプロイアビリティ』、『昇進の研究[増補改訂版]』(以上創成社)がある。
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