導入事例

社員の能力開発や学ぶ風土づくりに
積極的に取り組む企業を取材しました

能美防災株式会社

義憤の創業から100年 ― 総合防災メーカーとして事業拡大と社員の挑戦や共創促進のため、JMAMの越境学習を導入しています。

関東大震災を契機に火災防災の道を歩み始めた能美防災株式会社では、生命や財産に直結する防災事業に携わる責任の重さや長年の成功体験ゆえに、慎重な企業風土が形成されていました。しかし、2028 年を見据えた中長期ビジョン策定を機に、社員が殻を破って新たな領域へ挑戦できる組織へと変革するため、岩手県釜石市と新潟県糸魚川市をフィールドとした越境学習プログラムを実施しています。

越境先でのフィールドワークや丁寧な内省の時間を通じて、受講者は防災への使命感と挑戦意欲を呼び起こされ、新サービスの創出や職場環境改革へと波及しています。

同社が取り組む越境学習の狙いとその効果について、人材開発室の室長 加藤慎二様、同 原裕太様にお話を伺いました。

人材開発室
原 裕太 様
人材開発室 室長
加藤 慎二 様
能美防災株式会社
会社名
能美防災株式会社
URL
https://www.nohmi.co.jp/
プロフィール
設立 1916年(大正5年)12月
本社所在地 東京都千代田区九段南4丁目7番3号
事業分野 自動火災報知設備や消火設備をはじめとする各種防災システムの提供

防災こそ使命、100年前の義憤が創業の原点

能美防災株式会社Webサイト

──防災事業のパイオニア。まず、能美防災株式会社について教えてください。創業の原点は102年前の関東大震災にあるそうですね。

加藤氏:
関東大震災による死者や行方不明者約10.5万人のうち、ほぼ9割が地震そのものではなく、火災の犠牲になりました。東京都内で最も大きな被害が出た本所横網町の陸軍被服廠(ひふくしょう)跡地では、狭い場所に押し寄せた避難民4万人近くが火災旋風に襲われ、命を落としています。

当社創業者の能美輝一は当時、貿易商を営んでいましたが、その惨状を目の当たりにして「ただちに火災予防を研究すべき」と義憤を燃やし、創業を決意したのです。

それから100年、当社はもっぱら火災防災に特化した防災設備機器のリーディングカンパニーとして成長を重ね、研究開発からメンテナンスまでの一貫体制の下、国内外のあらゆる施設に最新・最適な防災システムを提供してきました。

原氏:
当社では、加藤が今お伝えしたような創業の原点を、社員のほぼ誰もがきちんと語ることができます。キャリア採用入社の私には、そのことがまず驚きでした。

──2022年に策定された「中長期ビジョン2028」では、自社のありたい姿を「総合防災メーカーとして災害全般へ事業領域拡大」と位置付けています。

加藤氏:
要するに、創業以来の既存領域を深耕しつつ、防災事業の新しい分野やサービスにチャレンジしていこう、ということです。

防災会社を名乗りながら、今までは火災防災一本でしたからね。私が人材開発室に異動してくる前から「未来共創プロジェクト」という新事業創出の取り組みが始まっていたのですが、なかなか応募が集まらず、目新しいアイデアも限られていました。

一部には、火災防災でうまく事業成長できているのに、なぜ新しいことをわざわざやるのかという空気さえありました。歴史が長い分、過去の成功体験に囚われやすく、その枠をなかなか超えられないんです。

老舗の保守的なマインドに揺さぶりをかけたい

人材開発室 室長 加藤 慎二 様

──新領域への挑戦を掲げたものの、現場にはそれを行動に移すマインドが備わっていなかったということですか。

加藤氏:
今でこそビルなどには、当たり前のように自動火災報知設備がついていますよね。実は、世間がまだ火災防災に無関心な時代から、当社創業者が粘り強く啓発活動を続けたこともあり、消防法が制定され、設置を義務づけられたからなんです。

つまり、我々のビジネスはある意味で法律に“守られて”おり、そこに甘んじてきた側面も否定はできません。また、技術開発も規制の枠内でしか進められず、画期的な新製品が出にくい市場環境でもあります。

原氏:
一部社内でも、「石橋を叩いても渡らない会社」と揶揄する人もいますが、ミスが人命に直結する仕事なため、慎重になるのは当然かと思います。

製品一つとっても、とにかくリスクや欠点をしっかり潰してから世に出す。そうやって防災事業を営んできただけに、まずはリスクやネガティブな部分に目が向き、結果的に保守的な風土ができあがったとしても不思議ではありません。

加藤氏:
感知器やスプリンクラーなどは、日常的に使うものではないですよね。しかし、いざという時には、百発百中で作動しなければならない。そういう特殊な条件下では、ものづくりの姿勢も慎重になります。私も技術畑が長いのでそう思うところがあるのですが、何とかその殻を破り、壁を乗り越えなければ、中長期ビジョンの実現は成し得ません。JMAMに「越境学習」をお願いした動機はまさにそこにあります。

──JMAMの越境学習は、社会課題の先進地である“地域”が学びのフィールドです。その特徴も、選ばれた理由の一つでしょうか。

加藤氏:
もちろんです。他社にもさまざまな越境学習のサービスがありますが、我々の狙いは、「防災事業こそ使命」と謳いながら、火災防災だけでいいと現状に安住している社員の意識に“揺さぶりをかける”ことにありました。

何か新しいものを生み出してきてほしいというよりも、守りに入ったマインドを「そのままでいいのか!?」と揺さぶられることで、自らの殻を破るきっかけにしてほしい。そうした効果を期待して、大きな災害を経験した地域での越境学習をJMAMにお願いしたのです。

認識不足や甘さをリアルに突きつけられる体験

人材開発室 原 裕太 様

──2022年から釜石(岩手県)と2024年から試験的に糸魚川(新潟県)の2つの地域でプログラムを実施。原さんは、釜石には企画者兼受講者として、糸魚川が事務局として参加したそうですが、揺さぶられましたか。

原氏:
キャリア採用組で、当時入社半年に過ぎなかったですが、釜石での越境学習は大きな衝撃がありました。

災害発生時はもちろんですが、災害発生前後のフェーズで、防災会社としてどんな使命を果たせたのか。もちろん、当時の大変な状況下で、防災設備の復旧に奔走した社員や、ボランティアに参加した社員が多数いたことは事実ですが、どれだけの社員が、こうした地震や津波災害の生々しさ、凄惨さに目を向け、「防災」を冠する会社に対する社会からの期待を意識できているのか。
また、ただ考えるだけではなくて、「実際に自分はどんな行動をしてきたのか」「今後は何をすべきなのか」、プログラム中は自問自答の繰り返しでした。

──具体的な内容や実施形態についてご紹介ください。

加藤氏:
釜石も糸魚川も、当社の社員だけが参加する当社のためのプログラムで、受講者は主に公募で決めています。実施は年に一回。日程は一昨年まで釜石が4泊5日でしたが、参加しやすさを考慮して、昨年からはどちらも2泊3日にしました。それでも内容の充実度は落とさず、見学や交流、体験活動など多様なフィールドワークを実施しています。

原氏:
例えば、釜石では「避難道体験」というプログラムがあり、個人的に最も衝撃を受けました。震災当時、市内の小・中学生が防災教育で習った知恵を活かして、津波から無事避難した「釜石の出来事」と呼ばれる現場を訪れ、実際の避難ルートを追体験するものです。

途中でいきなり「○分後に津波が来ます。各自助かると思う方向へ逃げてください!」と言われて、予告なしの避難訓練が始まる仕掛けも。防災知識をわかったつもりになっていた反省と、避難行動をするうえでの葛藤、バイアス、身体的な負荷など、解像度高く疑似体験ができました。机上の空論で防災を語るだけでは、知識、マインドともに不十分だなと思い知らされました。

一方、糸魚川は地質・地形的な要因から雪崩や地滑りが多い地域ですが、そうした自然の脅威にむやみに抗うのではなく、うまくいなして“共生”するという独特の防災文化が根づいています。

火を消す、避難するという思考が根底にある我々からすると、現地での学びは“目から鱗”で、発想を転換するまたとない機会でした。さらに同市は、強風の影響で古くから大火にも見舞われてきました。当社事業との親和性という点でも、理想的な“越境先”をコーディネートしてくれた、とJMAMに感謝しています。

2つの越境を目指し、内省を深めて議論を促す

岩手県釜石市での越境学習プログラム

──プログラムを構成する上で重視するポイントがあればご教示ください。

原氏:
体験、見学をただ詰め込むだけでなく、一人ひとりがその経験を咀嚼するための“内省”の時間をしっかりと確保するように心がけています。

メモを見返しながら講話の意味をかみしめたり、被災当時の光景を想像しながら一人で街を歩いたり、そうした個々の内省が深まると、現地にいる間から受講者同士で自然と意見が交わされ、議論が生まれてきます。「私はこういうことをやりたい」「いいね、応援するよ」というふうに。世代も立場も超えた絆が芽生え、結束力が高まってきます。
会社や組織という日常を超える「越境学習」ならではの変化と言えるのではないでしょうか。
私も担当者として、こんなに熱い想いを持つ社員がいたのかと驚きましたし、参加者からも同様の声をもらっています。

加藤氏:
真面目で優秀な人材に恵まれているのはわかっていましたが、真面目であるがゆえに、挑戦を歓迎し評価する風土とは程遠かった。少しずつですが、変わりつつある気はしますね。

──「新領域への進出」につながる具体的な動きも見えてきましたか。

加藤氏:
火災のリアルをVRで学ぶ「火災臨場体験VR」と、災害備蓄品の入れ替えで社会貢献を支援する「ストクル+(プラス)」という2つの新サービスが、先述の「未来共創プロジェクト」から生まれました。

防災教育や備蓄品の入れ替え支援といった事業は、当社にとって未知の領域ですが、まずやってみようと。そういう雰囲気になってきたこと自体、私は大きな変化だと捉えています。越境学習による揺さぶりが、その要因の1つになったことは間違いありません。

原氏:
製品やサービスとは別に、職場の風土改革に挑戦したいという声も出てきました。「ここ(越境先)でこんなに熱く議論できるなら、自分の職場でもできるのではないか」と。

実際、その社員はオフィスのレイアウト変更プロジェクトに参加し、議論しやすい環境づくりに取り組んでいます。実現に向けては何度も壁にぶつかっているようですが、越境学習参加者への相談や越境学習のプログラム構成そのものにもヒントを得ているようです。

たしかに新事業の創出は越境学習に最も期待する効果の一つですが、それだけではないと思っています。もっと根本的な人としての熱量や覚悟のような部分に響いて、業務であれ、非業務であれ、挑戦する原動力として背中を押してくれるのではないか、そんな手ごたえが年々強まってきました。

火災防災という枠を超える越境と、自分という枠を超える越境。「2つの越境」が当社のプログラムの肝と認識しています。

「越境の火を消さない」ためのしかけとしくみ

──持ち帰った越境学習の“種火”を組織に移して展開していくプロセスも重要です。

原氏:
越境の火を消さない。まさにそれが我々担当者の課題ですよね。「越境学習者は2度死ぬ」(越境した先で衝撃を受けた人が、組織に戻って行動を起こそうとしたときに周囲との熱量の差にもう一度衝撃を受けること)とよく言われるかと思います。

しかし、全員がそうなるとは限らない。せっかく釜石や糸魚川で揺さぶられて一度はマインドが変わっても、それを行動に移そうとしなければ“2度死ぬ”こともないわけです。そのまま元に戻ってしまう受講者も実際は多いのかもしれません。

そこでJMAMの協力のもと今年2月に、釜石プログラムの歴代受講者を集めたフォローアップ研修を実施しました。「みんなも頑張っているから自分も頑張ろう」というように、連帯感と言いますか、参加者同士のつながりを、挑戦し続けるための原動力にすることがねらいです。

越境先で同じ学びを体験し、同じ衝撃や感動を共有した仲間同士ですから。

──たしかに日常業務に戻ると、忙しさや慣れた環境に埋没してしまいかねません。

加藤氏:
なので、種火を組織に移すための「燃え草」を会社が用意することも大切になってくるでしょう。

当社でいえば、「未来共創プロジェクト」をはじめとした各提案制度がそれにあたります。アイデア育成の仕組みや仕掛けをつくり、そこに越境学習を経験したメンバーも参加することで、持ち帰った種火が少しずつ燃え広がっていくイメージですね。

そういう「燃え草」になるようなチャンスがないと、あっという間に消えてしまう。行動を起こしたくても、起こしにくいのではないでしょうか。

原氏:越境学習は、訪問した場所だけにとどまりません。その点、JMAMは前後のプロセスも含めた人材開発全般のパートナーとして寄り添ってくれるので、とても心強いと感じています。担当者も、リーダーシップに関する知見はもちろん、デザイン思考など事業構想的な部分にまで精通した人材育成のプロですから、壁打ちしていても本当に隙がないですし、いろいろな相談に乗ってもらえます。そうした深い信頼関係をもとに越境学習のプログラムを構築できるのは、まさにJMAMならではの強みだと思います。

被災地に学ぶ――次の100年のための原点回帰

加藤氏:
今後の課題という意味ではもう一つ、やはり継続性が求められますね。とくに当社の越境学習は人の心の奥深くを揺さぶるものだけに、効果が見えづらいし、すぐにそれが表れるものでもない。

参加するメンバーも毎回違うわけですし、全社的な風土を作っていくためには、5人でも、10人でも継続して送り出すことが必要と思います。揺さぶられて帰ってきた人がさらに周囲を揺さぶることで、送り出す側の上司にも関心が広がり、チャレンジするマインドとそれを応援する文化が徐々に醸成されていくのではないかと期待しています。

──冒頭「創業の原点」について述べられました。貴社の皆さんにとって被災地での越境学習はその原点に立ち返ることにもつながりますね。

加藤氏:
そのとおりです。創業の原点については階層別研修でもくり返し伝えていますが、やはり本を読んだり、講話を聞いたりするだけで腹落ちするかというとなかなか難しい。実際に災害のあった現場へ足を運び、その現実を自身の五感で受けとめる経験は何物にも代えがたい学びです。

原氏:
防災というテーマで越境学習を受け入れてくださる地域は、実はそれほど多くありません。そこを的確にコーディネートして、現地でも柔軟、かつ親身にフォローしてくれるのがJMAMの凄さですよね。おかげで、受講者は復旧・復興に尽くされている方々とも交流でき、当社創業者が抱いていた使命感に似たものを感じられる。そうした原点回帰が、結果として自社への誇りやエンゲージメントの向上にもつながるのではと思います。

加藤氏:
関東大震災の現場で創業者を衝き動かした「義憤」とは、今の言葉でいえば「社会課題」であり、それを何とか解決しようと挑戦し続けるベンチャー精神に他なりません。次の100年を目指すわれわれにとっては、古くてつねに新しいテーマなのです。
原氏:
越境先での学びを防災会社としての確かな成長につなげていくためには、我々もJMAMに頼りきりでなく、事務局に求められるスキルをもっと高めていかなければいけません。そこも一緒に考えていただけるとありがたいですね。

加藤氏:
これからもぜひ、良き伴走者としてよろしくお願いします。

取材 2025年5月

本事例でご紹介しているスキルマップ支援および研修について
https://www.jmam.co.jp/hrm/service/ekkyo/

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